2月24日にタイ比丘の
プラ藤川清弘チンナワンソー師が
亡くなられたというお知らせをいただいた
鳴った携帯電話の液晶画面には
藤川さんの名前が表示されていて
出てみると支援者の方でわざわざ
連絡くださったのだった
こちらからも去年春以来連絡しておらず
自分が落ち着いて気候が良くなったら
北海道にも来てもらえたらと思っていたが
無念 間に合わなかった
2000年5月にバンコクのお堂で
藤川さんに初めて会ってから10年
顔あわせるなり師がご自身の半生を
まくしたてるように話してくれた
気圧されっぱなしだったが
渡航して日にちが浅い不安な上京で
藤川さんに会うことができただけでも
タイに来てよかったのだ
と思ったのを覚えている
はじめはオマエと呼ばれたが
ほどなくして名前を覚えてくれ
パソコンサポートとしてたびたび
バスを乗り継いで2時間弱のお寺まで
呼び出されたものだ
ひんやりした床の上に座って
いろいろ話をした
しょっちゅうぼくのいたお堂にも
泊まりに来た 身軽だ
藤川さんは糖尿を持っていたので
一緒にいると蚊に刺されないしよく眠れた
日本に帰ってからは
体調の良し悪しがあっても
日本全国に待つ人がいて
還暦を過ぎたとは思えないペースで
移動を続け 人に会い続けた
多くの人の心に残り続けるだろう
おつかれさまでした藤川さん
ご冥福をお祈りします
合掌
1 件のコメント:
今知りました。合掌
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