2010年2月26日金曜日

藤川比丘

2月24日にタイ比丘の
プラ藤川清弘チンナワンソー師が
亡くなられたというお知らせをいただいた
鳴った携帯電話の液晶画面には
藤川さんの名前が表示されていて
出てみると支援者の方でわざわざ
連絡くださったのだった

こちらからも去年春以来連絡しておらず
自分が落ち着いて気候が良くなったら
北海道にも来てもらえたらと思っていたが
無念  間に合わなかった

2000年5月にバンコクのお堂で
藤川さんに初めて会ってから10年

顔あわせるなり師がご自身の半生を
まくしたてるように話してくれた
気圧されっぱなしだったが

渡航して日にちが浅い不安な上京で
藤川さんに会うことができただけでも
タイに来てよかったのだ
と思ったのを覚えている

はじめはオマエと呼ばれたが
ほどなくして名前を覚えてくれ
パソコンサポートとしてたびたび
バスを乗り継いで2時間弱のお寺まで
呼び出されたものだ

ひんやりした床の上に座って
いろいろ話をした

しょっちゅうぼくのいたお堂にも
泊まりに来た 身軽だ
藤川さんは糖尿を持っていたので
一緒にいると蚊に刺されないしよく眠れた

日本に帰ってからは
体調の良し悪しがあっても
日本全国に待つ人がいて

還暦を過ぎたとは思えないペースで
移動を続け 人に会い続けた
多くの人の心に残り続けるだろう

おつかれさまでした藤川さん
ご冥福をお祈りします

合掌

2010年2月21日日曜日

ちゃーやー

去年の今頃から
もうボサツノバという名で活動するのは
無理ではないかと考え始めていた

本名でやるか もしくは新たなステージ名
ボサノバマン というのを考えた

今日雪をはねながら
ジャイアン・ジルベルト
を名乗るというのはどうか
と思った

センスはないが
どんな名前でも意気込みによりて
そのものになりきれる




携帯電話を買い換えました
新しい携帯メールアドレスは
@より左は 以前のアドレスと同じで
@より右側がdocomo からezweb.ne.jp
に変わりました





ジョアン・ジルベルトになりたいとはいっても
ジョアン・ジルベルトの真似してはいけないところ(想像上)
をまねしている こんな今の自分はよくないな


ボサツノババババ
ボ角秋刀魚
ボボボ
ぼく
オーケストリオンみてみたい
  い

2010年2月16日火曜日

16



総代役員さんたちといっしょに
本堂屋根の雪降ろし
第2回 前回はぼくの外出中に
やってくださったので
初めて屋根に上った

本堂の屋根は平坦で
雪が滑り落ちることはほとんどない
ので年に2・3度はこうして集まって
雪を降ろしておやつを食べる

平スコップで切れ目をサクっと
入れてママさんダンプで運び出す
屋根の端から落とす
運んでは落とす
運んでは落とす

役員さんたちは平均70歳ぐらいか
ぼくのほうがへっぴり腰である


落とした雪はかきこんで飛ばす
メカニズムが付いている車で
飛ばすのであります

境内の一角にはチョモラ山が
高くそびえるまでに


ギターの調子が悪くなって
2月上旬にギター店へ行き
ギターを預けて状態を
見てもらうことにしました

持っていった日に
お店の方が云うには

本州から北海道に持ってくるだけで
気温や湿度の違いで調子が悪くなり
ゆがんだり 下手したら割れたりする

のだそうで ぼくの場合
さらに悪いことに加湿対策なしに
ストーブ点けている部屋に置いているので
いろいろ問題が出ており
直すには時間がかかりそうです


そんでだ